~熱風の果て~

観劇の記録

マクベス狂走曲@ウッディシアター中目黒

【演出】私オム

【出演】ミク・ドール・シャルロットコヒメ・リト・プッチ冨田樹梨亜海老原優花野々宮ミカ、岩崎真奈、妃野由樹子、内田菜々、林さくら、豊田真希、佐伯侑梨加、蒼みこ、吉村南美、橘亜季彩、咲良しょうこ、國井紫苑、永田紗芽
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観劇歴の中で、トラウマ作品と呼べるものがいくつかあって、その代表が2014年に下北沢で上演された「特攻(ぶっこみ)のマクベス」。以来、ゴブさん作品の観劇に復帰するまでに実に3年もの月日をかけることになってしまい、その間に、「リングのマクベス」や、コヒメさんが出演した「リングのロミジュリ」なども演じられていたのだった。
今作も、ゴブさんが脚本・演出として携わるのかと思っていたが、名前は出ず。設定や内容は「特攻のマクベス」そのものであるにもかかわらず、作品のページにも作者や脚本のクレジットはなく、どんな事情かは分からないが、不可解だった。ただ、出演者たちには何の責任もないし、真摯に作品の完成に向き合っていったことだけははっきりしていた。
ウッディシアターに5年ぶりに足を運んだのは、アイドルとしてのラストコンサートを終えたばかりのコヒメさんの演技を初めて観るため。低い声色を使ってのセリフの安定感には努力の結果と才能を感じることができる。悪になり切ることができなかった野心家の凶子役を眼差しや全身の動きを使って演じていた。今作では、舞台上では背の小ささがネタとして使われなかったのは評価できる。実際、小ささをあまり感じさせることがなかった。悪役ばかり回ってくるとボヤいてもいた彼女にはどんな役柄が向いているのだろう。本格的な舞台作品で一般的な役を演じるところなども見てみたい。一時は芸能界引退も考えていた彼女だが、溢れそうな涙を何とか飲み込みながらの、「この舞台に出演してよかった、これから「小日向茜」としてのコヒちゃん第2章が始まる」と、将来に向かっての力強いコメントを聞けてよかった。
演技の面で圧倒的なインパクトを残したのが、占い師役の永田紗芽さん。この作品での占い師というのは美味しい役ではあるのだが、役としての設定に食われないだけの個性で、怪しさを醸し出していた。演劇人として精力的に舞台出演を重ねている18歳、なかなか末恐ろしい最年少だ。きっとまたどこかで演技を見る機会もあるだろう。
今回は、「特攻」での反省を生かして、事前にシェイクスピアの原作を読んでみた。誰が原作で言うところの誰で、ここをこう翻案していて・・・というところが見えたのは楽しみの一つではあるが、血統が正統性の証明になるわけではない暴走族の世界に当てはめた上で誰も死なないハッピーエンドにするのであれば、マクベスである必然性はない気がする。また、野々宮さんや豊田さんなどは特攻服姿が完全にはまっていたが、やはりアイドル演劇である以上は、演者が持つ可愛らしさや可憐さが舞台上で輝くような作品づくりをしてほしいと思う。アイドル界とか、物理的な戦いではない世界まで飛躍させた方がむしろ潔かったのではないかと思った。
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午前0時を眺める人々(Japlin)@下北沢OFF・OFFシアター

【作・演出】桒原秀一

【出演】原田里佳子、黒川進一、松本和宣、小野田侑歌、石田政博、中島舞香、鈴木志麻、長堀純介、上杉英彰
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原田里佳子さんの主演舞台を下北沢で観劇。客演にして主演に抜擢されるというのは、彼女の実力が認められた証でもあり、嬉しい。思えば、コント作品以外で彼女の演技を見るのは3年ぶり。その間の時間をしっかりと成長のために充てられていたことが分かる、主演としての彼女の立派な演じぶりも嬉しく思えた。以前の演技は、全力を貫く余りに固く見えることもあったのだが、今日は、彼女の魅力である力強い眼力を、心の揺れを細かく映し出す繊細な表現に使っているところが見えた。ほぼ全編通して舞台に立ち続け、つむじ風に舞う塵のように移ろいやすい心情を、豊かな表情を交えつつ、対話や独白で表現していた。実年齢より10歳近く上で、既婚かつ8歳児の母親という、ハードルが高い設定だったが、その点も違和感なく演じていて、感心させられた。
登場人物たちは、少しずつどこかがずれていて、他人のことを思いやっているように見えて、本質を見ることができずに利己の罠に陥る。始まりがあれば終わりがある。午前0時の訪れは終わりと共に新たな始まりを予感させるが、一方で二度と戻らないものもある。真実の愛を語る道化の医者は重たく背負った十字架に繋がれることを喜ばれる。全てを解決に導くことができる唯一の存在として、舞台上に姿を現すタイミングを見計らっていた8歳児は誕生日の祝いの輪についに入ることなく宴が終わっても忘れ去られたまま造花を投げ捨てる。いくつかの悲しみが舞台上に残される終幕・・・最近見ていなかった気がする。それにしても貴ちゃん役の石田さんは、アドリブなのか役としての道化なのか、その境目を感じさせない、振り切れた怪演ぶりだった。
原案は、イプセンの戯曲「人形の家」とのこと。作者の名前と作品名は知っていても、読んだことはなかったので、これをきっかけに読んでみようと思った。「まだ登場人物がいたのか驚きでしょう」と終盤に現れた馬場さんは、どんな役割を持って出てきたのか、最後までよく分からなかったが、原案にはモデルとなる人物がいるのだろうか。
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北欧神話の世界(カプセル兵団)@ワーサルシアター

【作・演出】吉久直志

【出演】津久井教生、冨田真、伊藤栄次小見川千明、北出浩二、長谷川てるや、長澤菜教、北原知奈、井畑絵梨香
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ベニバラ兎団「優しい電子回路」で美声を響かせていた北原知奈さんが出演、ヴェッカーシリーズなどの演出を手掛けたカプセル兵団の吉久直志さんが演出ということで、見に行くことを即決したこの朗読劇。しかし、普段アニメは全くと言っていいほど見ないので、声優として馴染みのある出演者は一人だけ。その津久井教生さんが出演する土曜日を選んで観劇することにした。津久井さんも、アニメではなくて、橋本潮さんと組んで出演していた「うたってあそぼ」や「ともだちいっぱい」のヒョロリや、菊地美香さんと組んで出演していた「ワールド放送局」のニャンちゅう役としての馴染みで、一時、菊地美香さんの歌声を追いかけていたときに「ワールド放送局」のCDを買っていて、「まんじゅうなお月様」などで歌声にも触れていた。
アクティブイマジネーション朗読劇の第一弾として演じられたという日本神話や、メジャーなギリシア神話に比べると知識としては薄く、KOEIの「爆笑北欧神話」やギリシア神話の本の付録で知っているくらいとなる北欧神話
フライヤーに書いてあるとおり、アニメやゲーム、音楽などでよく使われて、聞いたことがある言葉が多いのは、ノルド語の響きが持つ、勇壮であり、どこか神秘的な印象によるところも大きいのではないだろうか。
神話というのは、元から体系的であったものではなく、様々な事実や伝承が組み合わさって出来上がるのが普通なので、どうしても一本のストーリーというよりは、一話完結の話が多くなる。それを2時間の朗読劇にまとめるというのは、なかなか大変な作業。今作は、世界の始まりから黄昏と復活までがダイジェスト的に演じられた。登場人物も多いので、自然と一人で何役もこなすことが求められる。さらに、リンゴが奪われれば老化はするわ、人間ではあり得ない動きや苦痛を受けるわで、同じ人物とは思えないような演じ分けも必要で、そこは声優の腕の見せ所。さすがは消長が激しいとも聞く声優界で居場所を築き上げてきた皆さん。アクティブに、アドリブを入れたり無茶ぶりをしたりしながら、真剣に楽しそうに演じていた。声でガヤや効果音を入れるところなんかも声優の技術を間近に感じられた。
全編を通すと、冨田真さん演じたロキの個性が印象的。仲間なのか敵なのか曖昧な立ち位置で、欲望には忠実で、周囲に災いをもたらす場当たり的な行動を重ね・・・ねずみ男のような役回りと感じた。事実、ねずみ男トリックスター⇒ロキと、Wikiのリンクを辿ることができる。スサノオとも違うし、日本やギリシアの神話には彼に該当するような神は見当たらない。破滅を導く張本人でもあり、彼がいれば勝手にストーリーが動くという、何とも不思議な魅力に溢れた神だ。冨田さんの演技は声だけでなく表情も魅力的で、ロキが登場するのが楽しみに感じられた。長澤さんを笑わせるための渾身のネタもお見事。
主神・オーディンを演じた津久井さんは五十肩に悩まされているとはいえ、56歳にはとても見えない若々しさ。20年くらい前に買った「声優事典」の頃とほとんど顔が変わっていないように見える。演技も若々しく、周囲にまで若々しさを強制。途中には、ニャンちゅうのTシャツに着替えて声もそれらしく演じるシーンもあって満足。私物のポーチもニャンちゅう柄なのか。
フレイヤ役を演じた北原知奈さんの声は、単なる可愛らしさだけではなく、身体の奥から出てくる気品のようなものが乗っかっているので、より印象的になる。彼女の声をもってすれば、舞台を含めて、息の長い活動ができそう。津久井さんにも容赦なく楽しそうに突っ込みを入れられるあたり、彼女の気おくれのなさと共に、この座組の雰囲気の良さも感じられた。
第3弾があるとすればギリシア神話と来るのが王道だが、オリジナル脚本でもよいので、オムニバスではなく、このスタイルでひとつのストーリーをじっくりと演じるところも見てみたいと思った。また、飲食自由の演劇というのも面白いが、ワーサルシアターではあまり自由に飲食ができる雰囲気ではなかったので、会場を含めてもうひと工夫あってもよいかなと思った。
爆笑北欧神話 (歴史人物笑史)

爆笑北欧神話 (歴史人物笑史)

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破格ノ七人-7/stupid-(ベニバラ兎団)@下北沢B1

【演出】IZAM【脚本】川尻恵太

【出演】本川翔太、森丘崇、チョモLaラテ、IZAM、MALIA.、原さち穂、楠田敏之、日比博朋、白石朋也、小田切瑠衣、新川悠帆、飯田南織、谷茜子、平岡梨菜、井上翔、藤本裕
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ベニバラ兎団の演劇としては初観劇となった、4月に上演された「優しい電子回路」が質の良い作品だったこと、今回も引き続き川尻さんが脚本を担当すること、昨年見たu-you.companyの「ドールズハウス」に出ていた小田切さんや谷茜子さんが出演すること、そして何よりも題名の得体の知れない格好良さと魅力的な世界観に惹かれて、今作のチケットを購入した。
会場は、初入場となる下北沢の小劇場「B1」。薄暗く、狭い客席の前に二面舞台が形成され、舞台奥の幕の裏には楽隊が控え、開演前から独特の怪しげな雰囲気が漂う。劇中の音楽を生演奏で聴けるというのは、音楽家でもあるIZAMさんがプロデュースする劇団ならではのこだわりだ。血を分けた兄弟である二つの国の王子を演じた、森丘崇さんとチョモLaラテさんは、IZAMさんがプロデュースするバンドでボーカルを務めるという二人。劇中ではどおりで劇中歌で綺麗なハーモニーを響かせられたわけだ。役者は本業ではないながら、演技もなかなかしっかりしていたし、対照的なビジュアルとキャラクターが確立されていた。
コメディ色が意外と強いという事前情報もあったとおり、真面目なシーンでもちょいちょいと小ネタが挟まる。一歩間違えれば雰囲気ぶち壊しというところだが、迫力のある殺陣や個性的な役者陣の熱演ですぐにリカバーできるからこそ、小ネタが許される。馬の頭の模型を付けた棒切れにまたがるという、残念な移動方法が格好良く見えてしまうというのはずるい。それにしても、最後までブレずに、観客の涙を絞らせることが確実なクライマックスのひと言までネタにしてしまうというところには恐れ入った。
飯田南織さんの無念さ溢れる壮絶な最期や、愛する人たちを守るために自らを犠牲にした兄弟の復活など、いい場面が演じられた二面舞台のコーナーがやや見づらい席だったのが少し残念だったが、小劇場で観るにはかなり贅沢な作品だった。拍手を受け続けて終わらないカーテンコールの後は、役者全員とハイタッチ会という、どこかの劇場のような退場方法。たまにはこういうのもいい。20年前のブームで名前と赤髪の顔を記憶していただけで、演劇に携わっていることはつい最近まで知らなかったIZAMさんを前に、少しドキドキしてしまった。彼のさすがのとラスボス感、そしてお茶目な感じも醸し出す演技は見応えがあった。女王役のMALIA.さん、初舞台ながら貫禄があって、どんな人なのかと帰って経歴を見たら、佐藤優平選手と結婚をしていた方と知ってなるほどと納得した。
シアター711での次回作に加え、「破格ノ七人」の続編制作が早くも決定するなど、この夏以降も活発な活動が予定されているベニバラ兎団には今後も注目をしていきたい。
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すてきな三にんぐみ(爆走おとな小学生)@キンケロ・シアター

【演出】加藤光大【脚本】千歳まち

【出演】白石みずほ、葛城あさみ、石原美沙紀、辰巳シーナ野々宮ミカ、雛形羽衣、夏目愛海、長橋有沙、林千浪、宮下奏、相澤香純、朝比奈南伊藤みのり、倉田侑里茄、とよたかなみ、相良朱音、伊東みおな、江藤彩也香、千歳まち、小田あさ美、紗綾
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原作の絵本のストーリーは全く知らないので、舞台化に当たってどの程度の改変があったかは分からないが、純粋に舞台作品として見ると、辛めの評価にならざるを得ない。
「46億年ゼミ」では、壮大な時間軸を表現するために大きな舞台を必要とする理由は理解できたが、今作では、キンケロという大きめの劇場を使わなければできないような演出は見て取れなかった。3人組が子供たちを連れ出す過程を描くのに費やされた前半は登場人物が少数に限られるので、広い舞台の空間を持て余し気味に見えた。
舞台としては、中世ヨーロッパのような雰囲気ながら、義務教育があったり、警察機構が整備されていてスーツを着た女性捜査官がいたり、探偵が職業として成り立っていたりと、現実世界の特定の時代に当てはめることはできない。なぜ村に男性がいないのか、女性だけの舞台としてはそこの説明がないと不自然な感じを受ける。登場人物たちの派手な髪色も設定の統一感のなさを強めてしまった。
善悪二元論の打破は望むところだが、ストーリーをハッピーエンドに収束させるには、余りにも犠牲が大きい。これが絵本のとおりの過程であり結末なのであろうか。まず、夏目さん演じるカトリシアは和解の印としての尊い犠牲として理解できるが、それで十分ではなかったか。そのカトリシアの生命を尽き果てさせたニーナにも償いが必要であり、更にニーナを追い詰めた義母にも償いが必要であり・・・と血の償いの連鎖を描くのは子供向けの絵本としてというよりも、単純にストーリーとして安易だし、心地のよいものでもなく、カトリシアの犠牲の尊さに泥を塗られたような不快感があった。命を奪われるのが親子のペアというのも都合がよいし、4つもの命が失われてから、過ちに気づいてわだかまりを乗り越えて、生き残った者にすぐに笑顔すら見られる・・・という展開は、人間の感情として理解できるものではなかった。この展開であれば、村人たちが祀るべきは、3人組よりもカトリシアやニーナの方なのではないだろうか。また、取ってつけたように逮捕されたティファニーの義母は、善悪二元論の克服のために救いのない単純悪として描かれることに矛盾を感じた。
途中、物語が血の償いを求めていることに気づいたときには、部外者であり、家族もない流れ者である3人組が犠牲となるのかと思った。社会のしきたりやルールから外れたがゆえの言われなき代償を払うことで、彼らの悲しい生き様や社会の理不尽さを示すとともに和解にもっていくのかと思った。3人組は、フライヤーのイラストのような不気味さがほとんど見られず、最初から親しみやすさが強調されていたのも簡単に彼らの本質を明らかにしすぎだった。大人たちからは疎外されるべきもの、子供たちからは受け入れられるもの、というハーメルンの笛吹きのような二面性を見せるためには、無表情で口数も少ないという設定の方が、風貌とも合ってよかったのではないだろうか。
平和な村という設定に似合わない大人たちのどうしようもない心のいやしさの描き方は、あからさまに過ぎた。世間体や因習といった大人たちにとって正しいもの、守るべきものを、単につまらないものとしてではなくて守るべき理由のあるものとして説得力のある形で示したうえで、子供たちや3人組が純粋な心でその真実性に揺らぎを与えていく、という静かな心理劇が見たかった。
長橋さんが演じたジャンヌは、これも時代を映しているのか、トランスジェンダーという設定。演劇で取り上げられるのは初めて見た。LGBTと言えば、ゲイを愛すべき道化のように描くものと相場が決まっていたが、今後は描き方も変わっていくのだろう。
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