~熱風の果て~

観劇の記録

世界の底にて君を待つ(劇団ぱすてるからっと)@シアターグリーンBOX in BOX Theater

【演出】佐藤颯【脚本】久留里狗

【出演】陽菜菜々羽、飯田ゆか、結城かえで、吉岡臣、久下元気、久留里狗、杉本莉愛、磯崎みずほ、花桐伊織、須藤利恵、五十嵐睦美、遠藤えりか、半田佳樹、西島梨央、うさみみ、いわみりかこ、村田果奈美
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飯田ゆかさんがW主演で出演したこの舞台。これまで、3つの作品で舞台で演じる彼女に会ってきたが、「飯田ゆか」「いいだゆか」「ゆか」と、そのたびに変わってきた名前を振り返るだけでも、平坦ではなかった道のりが偲ばれる。昨年11月、芸能活動はこれ限りという思いを抱きながら出演した復帰作「君の夢とボクの願い」を経て、原点である「飯田ゆか」の名前に戻って、今回のW主演へと活動はつながっていったのだった。
ゆかさんの演技は、初日こそ演じたユニの個性を意識しすぎたのか、声が出ていない印象があったが、2日目から髪型を変えて演じ方にも調整を加えるなど、開幕した後もキャラクターを作り上げていった。2日目からのデコ出しの方が、コンビを組むマイとのビジュアルの対比が明らかになるし、ユニの純粋さや意志の強さ、理知的な面などもよりよく表せていたように思った。ビジュアル面だけでなく、持ち前のクリスタルボイスもユニにぴったりはまっていたと思う。千秋楽、「ユニ」から「飯田ゆか」に戻った途端に溢れてきた涙はとても美しかった。新たな縁をつないだ彼女の演技を、また見ることができる日を待っていたい。
作品の世界は、人類が一度滅んだ後、僅かに地底で生き残った研究者たちが再び地上で暮らせる人類をつくるための実験を繰り返している・・・というもの。希望と絶望が入り混じる中で、登場人物たちは自分の記憶や実在にすら確証が持てない状況に追い込まれていく。何が正しい選択なのか、どんな不確かな状況にあっても、自分の意思と価値観を持って行動していかなければいけないということが、「お前に内臓はあるか」という台詞に集約されていたのだと思う。多くの犠牲も生まれたが、それらも皆、自らの意思で何をなすべきか考えることの大切さを悟り、行動した結果のもの。変えたいという意思を持ちながら孤独と絶望の末に自分自身ではなく偽りの「神」の声にすがってしまった若草や、抜け殻のようになり意思を捨ててしまった春日も、自分を省みれば、単なる悪役・敗残者として見ることはできなかった。
空チームの4公演を見終わった後でも、全ての設定が理解できたとは言い難い。まず、若草と春日が開眼者たちを地上へ行くように誘導した理由は判然としないところがある。邪魔者を逃げ道のない袋小路に遠ざけておきたかっただけとも取れるし、綿向の調査結果によって地上の毒に9人が耐えられないことを確信したのかもしれないし、死んだ海を見せて絶望させることまで意図していたとも想像できる。それであれば、死んだ海を見て希望を新たにするラストシーンは、より美しく見える。
葛城と三國が時間を稼ごうとした意味はどこにあったのか。メルツの力がなければ富士たちには何も抵抗する術がなかった以上、それぞれに相応しい死に場所をと考えていたということなのか。それにしても、ドロとクズ、葛城と三國にはもう少し抵抗の見せ場があってもよかったように思うが、それすら与えられないのは、より絶望感を強めようという演出意図だったのだろうか。
反乱の動きを早くから察知していたメルツには、犠牲が発生する前に若草たちを止めることはできなかったのか。メルツたち3人が止まった時間の外にいるかのような演出は何だったのか。若草を撃った特別製の白い銃は、誰がいつ、何のために作り出したのか。・・・このあたりの疑問には、メルツの存在や能力を超常的なものと位置づけなければ、折り合いのつく仮説を考えるのはなかなか厳しい気がする。
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