~熱風の果て~

観劇の記録

佐伯美香卒業発表

2009年7月28日、チームBのステージで美香ちぃが卒業を発表した。

希望と挫折の2年間

2007年5月、「猫目」と「田舎らしさ」を武器に4期生オーディションに合格し、7月にはひまわり組「僕の太陽」公演のユニット「僕とジュリエットとコースター」でステージデビュー。10月からは研究生のままチームB「会いたかった」公演にレギュラー出演を続け、2008年2月には、チームBの正式メンバーに昇格。3月からの「パジャマドライブ」公演では「てもでもの涙」に抜擢されるとともに、「命の使い道」の歌い出しを任されるなど、順調にステップアップをしていった。
一方で、美香ちぃのAKB生活は常に身体との闘いでもあった。2007年末には脚のケガを理由にしばらくの間劇場公演を休演。そして、2008年5月4日の昼公演、「ご機嫌ななめなマーメイド」の舞台中に脚をくねってしまい、左膝を脱臼。激痛に耐えてユニットまで出演した後に病院へ直行し、膝を修復して翌々日の公演で奇跡的に復帰を果たす。
しかし、これ以後、美香ちぃの膝にはテーピングやサポーターが施されるようになり、フルステージをこなすこともできなくなってしまう。公演中に膝がずれて、静止ポーズをとれずにふらついたり、自己紹介後にはけるときに脚をひきずったり。それでも「ワッショイB」のリフトは支え役を続けなければならず、美香ちぃのステージに懸ける意志の強さに敬服すると同時に、正視するのが辛いときもあった。
そして、2008年の夏にかけては、精神的にも大きく落ち込んだ。オーディション合格後にやむなく転校した高校には馴染めず、孤独を味わいながら補習を受けてやっとの思いで卒業、劇場から自宅までは片道3時間以上で公演が続く日は睡眠時間が3時間程度と無理を重ね、脚の故障も抱える中で、髪を無理やり短くさせられたり、一部出演を続ける代償に「ノンストップ美香ちぃ宣言」を禁止されたり、きくぢの解雇、西中の移籍・・・。公私にわたるひとつひとつの出来事の積み重ねが美香ちぃの心を痛めつけ、ついにはこれ以上チームに迷惑をかけることはできないとAKBを辞めることを考えるまでになってしまう。このときはCinDyに相談することで、事なきを得た。
その後も、膝が外れても痛くても全部出るという気持ちと、無理をせずに一部出演にとどめなければいけないという現実の間で揺れ動くが、2008年11月には完全休養で回復を図ることになった。12月に復帰すると、テーピングを外して気丈に歌い踊ったが、両膝と腰は快方には向かわず、2009年1月には「たな障害」を理由に半年間の休養を発表することとなった。
半年のリハビリ期間で、膝の筋力をつければ復帰は可能と思われたが、今度は難聴、目まいに見舞われ、リハビリや数少ないステージ以外の活動にも支障を生じるようになってしまい、ついに卒業となってしまった。AKBメンバーとしての美香ちぃ以前に、ひとりの佐伯美香という女の子のことを考えれば、この決断を尊重するより他にない。

美香ちぃの魅力

美香ちぃの魅力といえば、外面ではブラックホールのような強力な引力を備えた瞳と本人は気にしていたぷにぷにほっぺ。内面ではステージへの真摯な姿勢と強い意志、そして料理や裁縫を愛する家庭的な部分や見知らぬおばあちゃんの荷物を持ってあげたりする優しさ。更には、佐伯画伯やラッパーmika-chii、モバメの寝起き動画などに代表されるシュールなセンス。
しかし、多種多様な美香ちぃの魅力が完全に伝わっていたとは言いにくい。チームBのメンバーに追いついていないという引け目や、一部出演で迷惑をかけているんじゃないかという負い目、笑顔を閉ざすほどの歯並びへのコンプレックス、人気面での不安・・・。「パジャマドライブ」公演では、美香ちぃにはMCの機会がなかったことも重なって、自分の色を出すことが難しかった。歯の矯正と脚の治療が終わって復帰したらいよいよ思い切って自分をぶつけていけると楽しみにしていたが、かなわなかったのは残念だ。体調さえ戻れば、AKB以外に活躍の場を求めることも決して夢ではないと思うので、まずは、身も心もゆっくりと癒してほしい。

美香ちぃとの出会いと別れ

己が美香ちぃを初めてステージで見たのは、2007年9月30日のひまわり組公演。ひまわり公演で美香ちぃを見たのはこの1回だけ。美香ちぃは「ジュリエット」のみのワンポイント救援で、大島優子たむと共演だったので、優子たむを中心に見ていたはずだが、「ジュリエット」での美香ちぃの姿と声は、不思議と鮮明に思い出すことができる。当時は、美香ちぃが己にここまで深く入り込んでくることになるとは思ってもいなかったが、やはり何か印象に残るところがあったんだろう。
次に見たのは10月のチームB「会いたかった」公演。B2といえば、個人的にあまり好きなセットリストではなくて観覧回数は少なかった上に、見るときはきくぢ、ゆきりんが中心だったが、徐々に美香ちぃにも興味を惹かれていった公演でもある。「ぐっさん・・・さん」みたいに年下の先輩メンをさん付けで呼ぶ奥ゆかしさや、笑顔や口数の少ない謎めいたキャラクターが気になっていった。
そして、2008年1月から美香ちぃモバメを登録すると、その魅力の虜となり、「パジャマドライブ」公演が始まってからは強い気持ちが醸し出す真に迫る表情とキレのある動きにも魅了されて、チームB一推しになり、2008年の目標を「美香ちぃと握手する」に定めるまでになった。
大声ダイヤモンド」で個別握手会が復活し、その機会はめぐってきたが、美香ちぃの第一声は「誰推しですか?」と来たもんだ。一瞬、大島優子たむの顔を思い浮かべていたスキに「いや・・・、他にいるな!」と厳しく突っ込まれるという衝撃的なファーストコンタクトだった。普通に考えればファンを逃すような対応にも思えるが、己にとっては美香ちぃに心までがっちりと攫まれてしまったような感覚だった。
一方で、握手会の列の短さや、「てもでも」での視線の少なさ、ファンから意見されたことなどを気にする弱気な発言が多いのも気になったが、それも結局は小悪魔美香ちぃと握手を重ねさせる要素になってしまうのだった。
「涙サプライズ」の握手会のときは、今振り返ると、美香ちぃは既に卒業と思い定めていたように思われる。ある程度の覚悟はできていたつもりだったが、卒業発表の夜、うっちーからの美香ちぃの卒業を示すメールを読んだときには血の気が引く思いだった(それにしても、美香ちぃ卒業をめぐってのうっちーとなるるのやり取りは熱い!)。8月いっぱいはモバメも継続されるということで、卒業式を見届ける予定のない己としては、美香ちぃの卒業と空虚さを本当に実感するのはその後になるだろう。いつかまた会えるという希望は、種火のように小さく持ち続けていたい。
最後に、美香ちぃの卒業に寄せて、柱の会ブログに同郷の大島優子たむのコメントが上がったのは意外だった。優子たむは卒業というものに、冷酷な哲学というべきようなものを持っていると勝手に思ってしまっていた。考えてみれば、優子たむも一度は芸能界をあきらめかけた苦労人。誤解していたことを申し訳なく思うとともに、美香ちぃの卒業を気にかけてくれていたことがとてもうれしく思えた。