~熱風の果て~

観劇の記録

PLAYROOM(ピウス企画)@シアターKASSAI

【作・演出】広瀬格

【出演】桜木さやか、長谷川太郎増田裕生さいとう雅子、長橋有沙、亀井英樹、水崎綾、木村若菜、伊藤武雄

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シアターKASSAIで観る演劇は10作品目だが、ここで二面舞台をなす作品を見るのは初めて。廃墟の密室を表現した殺風景な舞台というか、何もない床。先ほどまで歩いていた空間が舞台となることで、客席と舞台の境界は曖昧になる。劇の舞台となる廃墟の位置はシアターKASSAI、登場人物たちは池袋周辺を移動する設定で、実際に出てくる地名の名前も場所もすぐにイメージできるということもあり、そこにも虚構の中のリアリティが感じられた。
空間を挟んで、近い距離で観客同士が向き合うだけでも緊張感が生まれるところに、開演数分前になると、演者たちがおもむろに入場して客席へと着いていく(空席がある場合のみの演出)。開演後しばらくして客席の演者が喋り出すと、観客と演者の境界も曖昧になる。もしかしたら、登場人物として自分が選ばれていた可能性もあるのではないか、と。そして、セットとなる机と椅子を並べていく演者たちの動きに、現実と劇との境界すら曖昧になる。こうなるともう、単なる傍観者として気楽に観ることは許されなくなる。さらに、リアルタイムに近く話が進むにつれ、密室での神経質な心理戦と、人格や設定の転覆が繰り返される中で、劇世界の現実の境界が失われていく。一度もハケることなく演じている側は当然のこと、観客側にも精神力の消耗を強いる。カーテンコールを迎えても、演者も観客も俄かに作品の世界から抜け出せず、何が真実で何が虚構なのかと混乱し、笑顔になることができないのももっともだ。ただ拍手する価値があることだけは確かに思え、手が動いた。
桐野の小説が子供の遊びをテーマにしているのは、幼少の頃、何らかの事情で体験できなかったそれらの遊びへの憧憬或いは楽しかった時代の淡い記憶が投影されているのかもしれず、同じように、登場人物たちも現実世界の桐野がなりたいもの、やってみたいものが投影されているのかもしれないと思った。しかし、桐野の性別や実像、本名は終幕しても依然として闇の中だ。
二面舞台の反対側から、登場人物たちの正体を既知のものとしてと、2回見ることにして正解。感動を呼ぶようなストーリーではなく、隠された真実が大きな鍵となる舞台でありながら、それが分かっていても劇世界にまんまと引き込まれ、分かっていればこそ見えてくる部分もあった。演劇の新鮮な醍醐味を味わわせてもらった気がする。劇中で登場人物たちが操るノートパソコンや携帯の画面までしっかりと作りこまれ、演者たちは実際にボードにメモをとり、地図に書き込みをする。そして観客は終演後は取り散らかった宴の後をまざまざと眺めることができ、それによってまたも曖昧な世界に引き戻される気分になる。そこまでも計算のうちなのかとすら思ってしまった。
頭の中で作り上げた登場人物たちを動かし、彼らの運命を握り、幸福にも破滅にも導くことを専らとする劇作家と呼ばれる職業の人であれば、おそらく、万能感を抱いたり、はたまた自らが作り出した登場人物への罪悪感を抱いたりする感覚にとらわれることもあるのではないかと想像する。この作品は、作者のそんな思いが投影されたものなのかもしれないと思った。
小説の主人公を演じたまぁこさんは、この舞台への出演が決まってから、膝に大きな怪我を負ってしまった。しかし、弱音や恨み言を一言も吐くことなく稽古に参加し、本番を迎え、これまでの役柄にはないような重要な役を演じ切り。無力さに打ちのめされながらも、理不尽な運命と必死に戦う水越の悔しさ、強さを、鋭い表情と涙で表現できるのは、彼女自身の芯の強さがあってこそ。この試練も、彼女なら人間として、女優としての成長の糧にしていけると信じられる。当面は治療に専念ということになるのかもしれないが、いつか華麗なアクションも見せてほしいもの。スーツ姿も、意外と言っては失礼だが、様になっていた。
まぁこさんとはこの半年で3回目の共演となる長橋さんは、コミュ障の引きこもりという設定からの瞬間の一撃での豹変ぶり。この前の作品は、違う組の方を観劇したので見られなかったが、そこでもボサボサ頭で自然を自在に操る女子高生という個性的な役を演じたという彼女。こういう癖のある危ない役を引き寄せられるというのも実力が認められている証拠。来月は、どんな顔を見せてくれるのだろうか。
水崎綾さんは、名作「冬椿」でのアカツキ・シノノメ姉妹以来、5年半ぶり。そのときの敵役のイメージがついてしまっていたが、今回はクールな外面ながら内面の暖かみも持つインテリ役で、こんなに綺麗な人だったのかと今更ながらに気づいたのだった。
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